なぜわたしたちは聖書を学ぶべきなのか?| Why Should We Study the Bible?
(English below)
これは重要な質問です。 多くの人は聖書を学ぶことを否定されません。「まぁ『一般常識』として学ぶのはいいんじゃない?」と思われる方が多いのは事実です。では、『一般常識』として聖書を学ぶことを肯定する方が多いのはなぜでしょうか?私には、そこには「聖書は沢山ある神話の一つだ」とか、「聖書に書かれていることは今の世界の流れに合わない」、「イエスの教えを参考にするのはいいけど、自己啓発と変わらないでしょ?」という思いが見え隠れしているように感じます。 ここでは、「なぜわたしたちは聖書を学ぶ『べき』なのか?」についてみなさんと考えていきたいと思います。
聖書は歴史的事実に基づいて書かれている
聖書が歴史的事実かどうかは非常に重要な問いです。聖書に書かれていること、特にイエスについてのストーリーが実際に起きたことでないのなら聖書は単なるよくできた神話、人生の指針となる自己啓発書以外の何物でもありません。
なぜイエスのストーリーがそれほど重要なのでしょうか?
イエスの歴史的信頼性は聖書の信頼性に直結しています。聖書全巻はすべてイエスのことが中心のテーマとなっています。イエスが存在しない、あるいは彼についての記録が信頼できないのなら、イエスについて書かれた聖書は当然信頼できません。逆に言えば、イエスが確かに存在し、福音書に書かれたイエスの目撃証言が信頼に値するものなら、それは聖書全体の信頼性を大幅に上げるものになるのです。
まず、イエスの主張を簡単にまとめてみましょう。
イエスは旧約聖書を通して教え、そこに書かれた神は自分で、預言書で予言されていた救世主だと主張した。
"それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。" ルカの福音書 24章27節
"イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」" ヨハネの福音書 8章58節
"しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司はイエスに言った。「私は生ける神によっておまえに命じる。おまえは神の子キリストなのか、答えよ。」イエスは彼に言われた。「あなたが言ったとおりです。しかし、わたしはあなたがたに言います。あなたがたは今から後に、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」" マタイの福音書 26章63~64節
イエスは自分自身が死んで3日後によみがえらなければならないとも言った。
"そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。" マタイの福音書 16章21節
ではこんな主張をしたイエスという人物が歴史的に信頼できるのかを私達はどのように知ることができるのでしょうか?
ここでは大きく分けて3つのイエスの記録が信頼できる根拠を見ていくことにしましょう。
イエスについての目撃証言である福音書の多くの写本が見つかっている。
福音書はその内容が伝説化する期間よりも遥かに早い時期に書かれた。
イエスの弟子たちにとって不利な証言、出来事が同時に記録されている。
イエスについての目撃証言である福音書の多くの写本が見つかっている。
歴史上の人物の信憑性を調べる際、非常に参考になるのはその人物について書かれた古文書を見ることです。そして、その人物についての文書が多く見つかれば見つかるほど、どのようなストーリーが伝説化しており、どれが実際に起ったのかを判断する材料は増えることになります。
哲学者プラトンは紀元前400年頃に活躍しましたが、彼についての最古の写本は210ほど残っており、多くの歴史家は彼の存在を疑わず、多くの哲学者が彼の功績を今でも讃えています。
では福音書はどうでしょうか?
まず新約聖書の中にある福音書は、先程も言ったとおり、4人の別々の人間によるイエスの目撃証言です。4人の角度からイエスについて書かれています。そしてそれら福音書の写本は5000部ほど残っています。
プラトンと比べるとその差は歴然です。
著名な聖書学者であるF・F・ブルース博士は「世界でも、新約聖書ほど文書的証拠が残っている古代文学はない」と結論づけています。
福音書はその内容が伝説化する期間よりも遥かに早い時期に書かれた。
古文書学者たちは、ある特定の出来事を記した文書が写字生(文字を写す専門の訓練を受けた人)たちによってコピーされていき、ある一定の期間(300〜400年程度)をすぎるとその内容が伝説化しやすくなると言います。
皆さんはアレクサンドロス大王という歴史上の人物をご存知でしょうか?彼は20歳で王になり、その後わずか10年足らずで空前の大帝国を築いた人物です。彼は西暦前323年に亡くなったとされています。
彼について書かれた現存する最古のものとされている本は、「アレキサンドロス大王東征記」という本です。この本は彼の死後、約450年ほどたってから書かれていますが、歴史家の間では、その信ぴょう性が高く評価されています。
一方でイエスは西暦30年ごろに十字架につけられて死んだとされています。その後に書かれた4つの福音書は研究者の一般的な年代づけでは、「マルコによる福音書」がAD50~60年代、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」がそれぞれ60年代ごろ、そして「ヨハネによる福音書」が70年代ごろに書かれたとされています。そうなると、最初に書かれたマルコによる福音書は、イエスの死から20~30年以内に書かれたということになります。
となるとイエスについて書かれた福音書は、歴史的にはニュース速報レベルの速さで書かれたと言えるのではないでしょうか?
イエスの弟子たちにとって不利な証言、出来事が同時に記録されている。
もし、弟子たちが新しい宗教を作ろうとしていたとしたらどうでしょうか?イエスの話を自分達に都合よく改ざんし、自分達がその新興宗教のリーダーになろうとしたとは考えられないでしょうか?
それに対する一つの答えは、弟子たちにとって恥ずかしい以外の何者でもない出来事の記録が福音書に数多く記録されているということです。
一つ目は、イエスに近かったと言われるペテロが、イエスに「下がれ。サタン」と呼ばれるという場面です。
"しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」" マタイの福音書 16章23節
ペテロが信者の中で偉くなりたいと思っていたとすれば真っ先に削除したい話ですよね。
2つ目は、イエスと弟子たちがガリラヤ湖を船で旅をしている時に嵐にあった場面です。
"さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」" マルコの福音書 4章35~41節
彼らは怖くなり、イエスにすがりますが、イエスはそんな弟子たちに「信仰の薄い者たちだ」と言われます。
3つ目は、イエスがゲッセマネの園で必死に祈っているそばで、弟子たちが何度も居眠りしてしまう場面です。
"そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」" マタイの福音書 26章38節
"それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」" マタイの福音書 26章40~41節
"イエスが再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。" マタイの福音書 26章43節
"それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。" マタイの福音書 26章45節
"そこで、彼らに言われた。「どうして眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい。」" ルカの福音書 22章46節
イエスは血の汗を流すほどのストレスに晒されていました。これは現代では血汗症と呼ばれています。とくに死刑直前の死刑囚によくみられる症状で、極度のストレスにさらされると皮膚の汗を分泌するはずの穴の周辺の毛細血管が破裂し、汗のように血が流れる症状です。
自分達が師と仰ぐ尊敬する先生が、それほど苦しんでいるそばで、弟子たちは居眠りしたのです。これほど恥ずかしいことがあるでしょうか?そのあと、イエスが捕えられるとき、弟子たちは一目散に逃げ出します。これも恥ずかしいですよね。他にも弟子たちの恥ずかしい記録はありますが、以上の理由から弟子たちが情報を自分達の都合の良いように改ざんしてきたとは非常に考えにくいと言えます。
聖書はイエスを知る手段
ここまで、イエスの歴史的信頼性のお話をしてきましたが、イエスがもし確かに歴史的に存在し、死んで3日後によみがえった神だとしたらそれはあなたの人生にどのような影響を与えるのでしょうか?
まず、あなたは聖書的な目で自分自身を見つめ直すことになります。聖書には、あなたは神に対して罪を犯した罪人であると書かれています。
"…善を行う者はいない。だれ一人いない。" 詩篇 14篇3節
"すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、" ローマ人への手紙 3章23節
しかし、それだけではなんの希望もありません。
神は正義の方ですので、罪人の罪をなんの罰(結果)もなくただ赦すことはなさいません。それは「正義」ではないからです。だからこそ私達は罪の罰として死ぬようになりました。
"こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──" ローマ人への手紙 5章12節
しかし、私達には希望があります。
"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。" ヨハネの福音書 3章16節
あなたが「イエスが自分の罪の身代わりとなって十字架上で死んでくださり、三日後によみがえり、今自分自身の主として生きておられること」を信じるときに、あなたの罪は赦され、神との永遠の関係に入ることができます。
聖書を通してイエス様に出会ってください。これを読まれているクリスチャンの方も同じく、イエス様に出会うために聖書に向かってください。
あなたが聖書を「事実」として読むことができますように。
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著者について: 浜崎勇樹は大阪在住のプロドラマーです。他にも彼の素敵なコンテンツをお探しの方は、勇樹さんのYouTubeチャンネル、Twitter、Instagramをチェックしてみてください。
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This is an important question. Many people are not denying that there are some benefits to studying the Bible. Many people think 'Well, it's okay to learn it simply as 'common sense', right?'. So why are many of us affirming the study of the Bible as 'common sense'? In my experience, many people are saying things like "the Bible is one of many myths" and/or "what the Bible says doesn't fit with the way the world works today.” I feel there’s this sense of "it's nice to refer to the teachings of Jesus, but it's no different than self-help, right?” Here in this post, I’d like to address the question of why we should study the Bible.
The Bible is based on historical facts
Whether the Bible is historically accurate or not is a very important question. If what the Bible says, especially the story about Jesus, is not what actually happened, then the Bible is nothing more than a well-crafted myth, a self-help book to guide you through life.
Why is the story of Jesus so important?
The historical reliability of Jesus is directly related to the reliability of the Bible. The entire Bible is all about Jesus as a central theme. If Jesus does not exist, or if the records about him are unreliable, then the Bible written about Jesus is obviously unreliable. Conversely, if Jesus does indeed exist, and the eyewitness accounts of Jesus in the Gospels are reliable, then that greatly increases the reliability of the entire Bible.
First, let's briefly summarize the claims of Jesus.
Jesus taught from the Old Testament and claimed that the God written therein was himself the Messiah that had been foretold in the prophetic books.
And beginning with Moses and all the Prophets, he interpreted to them in all the Scriptures the things concerning himself. Luke 24:27
Jesus said to them, “Truly, truly, I say to you, before Abraham was, I am.” John 8:58
But Jesus remained silent. And the high priest said to him, “I adjure you by the living God, tell us if you are the Christ, the Son of God.” Jesus said to him, “You have said so. But I tell you, from now on you will see the Son of Man seated at the right hand of Power and coming on the clouds of heaven.” Matthew 26:63-64Jesus also said that he himself must die and rise again three days later.
From that time Jesus began to show his disciples that he must go to Jerusalem and suffer many things from the elders and chief priests and scribes, and be killed, and on the third day be raised. Matthew 16:21
So how do we know that a man named Jesus who made such a claim is historically reliable?
Let's look at three major categories of evidence for the reliability of the records of Jesus.
Many manuscripts of the Gospels, which are eyewitness accounts of Jesus, have been found.
The gospels were written at a time well before they could be dismissed as mere legend.
There are accounts and events recorded at the same time that were unfavorable to Jesus' disciples.
Many manuscripts of the Gospels, which are eyewitness accounts of Jesus, have been found.
A very helpful way to examine the authenticity of a historical figure is to look at the ancient documents written about that person. And the more documents that can be found about the person, the more material we have to determine what stories have become a legend and which ones actually happened.
The philosopher Plato lived around 400 B.C., but the earliest manuscripts about him are dated to be around the year 210. Still, many historians do not doubt his existence, and many philosophers still celebrate his achievements.
So what about the Gospels?
First of all, the gospels in the New Testament are, as I said earlier, four separate human eyewitness accounts of Jesus, written about Him from four different angles. And there are about 5,000 copies of those gospels left in manuscript form.
When compared to Plato, the difference is stark.
Dr. F. F. Bruce, an eminent biblical scholar, has concluded that "there is no ancient literature in the world for which there is more documentary evidence than the New Testament.
The gospels were written at a time well before they could be dismissed as mere legend.
Experts in studying ancient manuscripts say that documents describing certain events were copied by scribes (people trained in the art of transcription), and after a certain period of time (about 300-400 years), their contents are more likely to become legendary.
Have you ever heard of a historical figure named Alexander the Great? He became king at the age of 20, and in less than a decade, he built an unprecedented empire. He is believed to have died in 323 BCE.
The oldest surviving book about him is the "Chronicles of Alexander the Great's Eastern Expedition", which was written after his death. This book was written about 450 years after his death, but its authenticity is highly regarded by historians.
Jesus, on the other hand, is believed to have died on the cross around 30 AD. The four gospels that followed are generally dated by scholars to be written in the 50s-60s AD for the Gospel of Mark, around the 60s for the Gospel of Matthew and Luke respectively, and around the 70s for the Gospel of John. That would mean that the first Gospel of Mark was written within 20-30 years of Jesus' death.
That would mean that the gospels written about Jesus were historically written at the speed of a fast-breaking news story, right?
There are accounts and events recorded at the same time that were unfavorable to Jesus' disciples.
What if the disciples were trying to create a new religion? Is it not conceivable that they were trying to falsify the story of Jesus to suit themselves and make themselves the leaders of that emerging religion?
One answer to that is that the Gospels record a number of events that were nothing but embarrassing to the disciples.
The first is a scene in which Peter, who is said to have been close to Jesus, is reprimanded by Jesus with the words: "Get behind me, Satan!"
“But he turned and said to Peter, “Get behind me, Satan! You are a hindrance to me. For you are not setting your mind on the things of God, but on the things of man.” Matthew 16:23
If Peter wanted to be great among the believers, this is surely the first story he'd want to delete!
The second is a scene where Jesus and his disciples were traveling in a boat on Lake Galilee when they were caught in a storm.
“On that day, when evening had come, he said to them, “Let us go across to the other side.” And leaving the crowd, they took him with them in the boat, just as he was. And other boats were with him. And a great windstorm arose, and the waves were breaking into the boat, so that the boat was already filling. 38 But he was in the stern, asleep on the cushion. And they woke him and said to him, “Teacher, do you not care that we are perishing?” And he awoke and rebuked the wind and said to the sea, “Peace! Be still!” And the wind ceased, and there was a great calm. He said to them, “Why are you so afraid? Have you still no faith?” And they were filled with great fear and said to one another, “Who then is this, that even the wind and the sea obey him?” Mark 4:35-4`
They become frightened and hang on to Jesus, but Jesus tells these disciples that they are of little faith.
The third scene is when the disciples repeatedly doze off beside Jesus in the Garden of Gethsemane as he is praying desperately.
Then he said to them, “My soul is very sorrowful, even to death; remain here, and watch with me.” Matthew 26:38
And he came to the disciples and found them sleeping. And he said to Peter, “So, could you not watch with me one hour? Watch and pray that you may not enter into temptation. The spirit indeed is willing, but the flesh is weak.” Matthew 26:40-41
And again he came and found them sleeping, for their eyes were heavy. Matthew 26:43
Then he came to the disciples and said to them, “Sleep and take your rest later on. See, the hour is at hand, and the Son of Man is betrayed into the hands of sinners. Matthew 26:45
and he said to them, “Why are you sleeping? Rise and pray that you may not enter into temptation.” Luke 22:46
Jesus was under so much stress that he was sweating blood. This is known in modern times as bloody sweating (hematohidrosis). It is particularly common in prisoners on death row just before they are executed, and when exposed to extreme stress, the capillaries around the holes in the skin that are supposed to secrete sweat burst, causing blood to flow like sweat.
The disciples dozed off while the one they looked up to as their teacher, was suffering this much. What could be more embarrassing than this? Then, when Jesus is captured, the disciples run away at once. This, too, is embarrassing. There are other embarrassing records of the disciples, but for these reasons, it is very unlikely that the disciples would have falsified information to suit themselves.
The Bible is the means of knowing Jesus
So far we've talked about the historical reliability of Jesus, but if Jesus was indeed the God who existed historically and died and rose again three days later, how would that affect your life?
First of all, you are going to have to look at yourself with biblical eyes. The Bible says that you are a sinner who has sinned against God.
“...there is none who does good, not even one.” -Psalm 14:3
“For all have sinned and fall short of the glory of God.” Romans 3:23
However, there is no hope in these truths alone.
God is righteous, so He does not simply forgive the sins of sinners without any punishment (consequences). That is not "justice". That is why we die as punishment for our sins.
“Therefore, just as sin came into the world through one man, and death through sin, and so death spread to all men because all sinned—” Romans 5:12
But, there is hope for us.
“For God so loved the world that he gave his only Son, that whoever believes in him should not perish but have eternal life.” John 3:16
When you believe that "Jesus died on the cross as a substitute for your sins, rose again three days later, and now lives as your Lord," your sins are forgiven and you can enter into an eternal relationship with God.
I encourage you to meet Jesus through the Bible. If you are a Christian reading this, I invite you to turn to the Bible to encounter Jesus as well.
My sincere prayer is that you may read the Bible as "the truth".
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About the author: Yuuki Hamasaki is a professional drummer living in Osaka. For more great content, check out Yuuki’s YouTube channel, Twitter, and Instagram.
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